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ホーム » ブログ » 百姓の目線 » 追悼

追悼

2010.6.14
就農以来、大変お世話になった集落の古老が亡くなった。91歳、先週の火曜日のことであった。

古老は、私とその家族が最初に里美に移り住んだときの大家さんだ。

使っていなかった隠居家(この辺では母屋のほかに老人夫婦が住む隠居家がある家が多い)を快く貸して下さった。

その後色々あって私は2回引越しをして現在の家に住んでいるわけだが、古老がいなければ今の私はないといっていい。

穏やかな方で、無駄口はきかず、悪いものにははっきりと悪いという方であった。そんな方の一言は、あふれる情報の中に生きている私たちと違って、自分の経験と行動からつむぎだされるものであり、かといって偏見は混ざらず、重く、しかし温かみのあるものであった。

私のようないわゆるよそ者に対しても特別扱いせず、時に厳しくときにやさしく、しかしご自身の視線がぶれることはなかったように思う。

就農当初は百姓の様々なことを教えていただいたが、お借りしていた家を出てからは次第に疎遠になり、道で会っても挨拶を交わす程度の付き合いになっていた。もっとも、ご自身はとうの昔に農業は引退され、それでも元気に趣味のゲートボールに毎日通われていた。

最近姿を見かけないな、と思っていた矢先の訃報であった。

過疎地に住んでいると、結婚や出産よりもお葬式の方が圧倒的に多い。そのたびに、小さな後悔の念に駆り立てられる。80歳以上の方は、日本が高度成長する以前の、いわゆる近代化以前の農業、いやその頃は’業’ではなく’営み’であったかもしれない、を知っている世代である。百姓が自分の腕一本で生きていた時代。農山村が都市の属物ではなく、物心両面で自立していた時代、農業の近代化によってゆがめられてしまった「百姓魂」みたいなものをもっと聞き出したかった。

しかし、多くの古老は、「いい時代になった」という一言を発するのみで、自分が生きた時代について多くを語らないまま旅立ってゆく。もちろん、近代化によって、農業は厳しい労働から解放され、生産性は格段に向上した。村のインフラは整備され、生活も便利になった。いい時代だという言葉はある面では本音だと思う。しかし、彼らは大事なことを語っていない。多分それは語るような性質のものではないのだろう。それに彼らの魂は、近代化の課程で一度否定されているのだ。

話は現実に戻る。これからも私はこの村に住んで、集落の中で有機農業を営み続け、多くの誕生と死に立ち会うことだろう。そんな村の暮らしが私は好きだ。人の生と死がいつも身近にある。それをみんなで祝い、または悔やむ。それによって初めて引き継がれることも多いであろう。願わくば、その中に「農」があり続けますように。

古老のご冥福をお祈りします。

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