リスクを引き受ける覚悟
2011.8.20
茨城新聞「茨城論壇」8月20日掲載 私の拙文
新聞には違うタイトルが付けられて、意味がぼやけてしまった気がします。また、このような発言を生産者がしてよいのか、迷いました。様々なご意見、ご批判を賜ろうと思っております。それと現実を受け入れるのとは別の話で、今回の原因企業である東京電力には、けじめとしてしっかり補償を請求するつもりです。しかし補償されればすむ話ではない、ということが言いたかったのです。
震災から5カ月が過ぎました。福島原発から放出された放射性物質は依然として各地で影響を及ぼし続けています。私の農園では5月から毎月1回、地域の仲間と共に野菜や土壌などの放射性物質の濃度を測定しています。野菜は20種類以上検査しましたが一度も検出されていません。今後も作物から放射性物質が検出されることはないだろうと思われます。
一方で腐葉土や稲わらなど、環境汚染が徐々に明らかになりつつあります。行政側もとっくに問題を把握していたはずで、農産物汚染をめぐる行政の後ろ向きな姿勢が風評被害を拡大した側面は否定できません。
最近気になることは、「基準値を下回っているので安全です」という言葉です。確かに年間100ミリシーベルト以下の放射線による健康被害は、科学的に証明されていません。しかし放射能の害に閾値はありません。例え少量でも放射能被曝のリスクはついて回るのです。ですから、私たち農業者も含めて行政や流通関係者などは、安易に「安全・安心」という言葉を使うことは慎むべきではないでしょうか。この言葉がかえって消費者の不信感を増幅しているのが現実なのです。むしろ、これからは放射能のリスクを避けるのではなく、社会全体で引き受けてゆく姿勢が求められるのではないでしょうか。私は原発推進派ではありません。しかし私達が原子力の恩恵を受けてきたのは紛れもない事実なのです。東京電力や国を批判しているうちに、風評被害で多くの農業者が廃業の危機にさらされています。放射能は私たちの住む環境全てに降り注いでしまったのです。しかもホットスポットなどという過酷な現実を残して。
例えホットスポットであっても、農業者は畑ごと引越しなんてできません。だから現実を受け入れ、これ以上の放射能汚染を防ぎ、または減らせるよう、行動を始めています。しかしいかにお金や手間暇をかけても放射能をゼロにすることはできません。大切なのは作物に移行させないことです。放射能と付き合いながらリスク管理をしっかりして安全な作物を生産する道はあると思います。これからは生産者の「リスク管理力」が問われています。消費者の皆さんにも同様の覚悟、つまり安全を求めるだけでなく、リスクを引き受ける覚悟を求めるのは酷かもしれません。しかし、農産物の安全性が話題になるたびに、生産者側だけがリスクゼロを求められる世の風潮には違和感を禁じ得ません。
現在はICRP(国際放射線防護委員会)によれば緊急事態期(年間100ミリシーベルト以内)ですが、日本の暫定規制値はそれよりも厳しく、事故終息後の復旧期(20ミリシーベルト以内)を基準に作られているようです。東都生協は、政府の暫定規制値は「放射能のリスクをみんなで公平に負担するためのがまん基準」であるという考えを発表しています。ゼロリスクを求めるのではなく、どこまでなら我慢して引き受けられるのか、各自がもう一度よく考える時期だと思います。現代社会において全ての食べ物のリスクをなくすことは元々無理なのです。それよりも、前向きにリスクを減らす努力をしている農業者を忘れないでほしいと思います。
新聞には違うタイトルが付けられて、意味がぼやけてしまった気がします。また、このような発言を生産者がしてよいのか、迷いました。様々なご意見、ご批判を賜ろうと思っております。それと現実を受け入れるのとは別の話で、今回の原因企業である東京電力には、けじめとしてしっかり補償を請求するつもりです。しかし補償されればすむ話ではない、ということが言いたかったのです。
震災から5カ月が過ぎました。福島原発から放出された放射性物質は依然として各地で影響を及ぼし続けています。私の農園では5月から毎月1回、地域の仲間と共に野菜や土壌などの放射性物質の濃度を測定しています。野菜は20種類以上検査しましたが一度も検出されていません。今後も作物から放射性物質が検出されることはないだろうと思われます。
一方で腐葉土や稲わらなど、環境汚染が徐々に明らかになりつつあります。行政側もとっくに問題を把握していたはずで、農産物汚染をめぐる行政の後ろ向きな姿勢が風評被害を拡大した側面は否定できません。
最近気になることは、「基準値を下回っているので安全です」という言葉です。確かに年間100ミリシーベルト以下の放射線による健康被害は、科学的に証明されていません。しかし放射能の害に閾値はありません。例え少量でも放射能被曝のリスクはついて回るのです。ですから、私たち農業者も含めて行政や流通関係者などは、安易に「安全・安心」という言葉を使うことは慎むべきではないでしょうか。この言葉がかえって消費者の不信感を増幅しているのが現実なのです。むしろ、これからは放射能のリスクを避けるのではなく、社会全体で引き受けてゆく姿勢が求められるのではないでしょうか。私は原発推進派ではありません。しかし私達が原子力の恩恵を受けてきたのは紛れもない事実なのです。東京電力や国を批判しているうちに、風評被害で多くの農業者が廃業の危機にさらされています。放射能は私たちの住む環境全てに降り注いでしまったのです。しかもホットスポットなどという過酷な現実を残して。
例えホットスポットであっても、農業者は畑ごと引越しなんてできません。だから現実を受け入れ、これ以上の放射能汚染を防ぎ、または減らせるよう、行動を始めています。しかしいかにお金や手間暇をかけても放射能をゼロにすることはできません。大切なのは作物に移行させないことです。放射能と付き合いながらリスク管理をしっかりして安全な作物を生産する道はあると思います。これからは生産者の「リスク管理力」が問われています。消費者の皆さんにも同様の覚悟、つまり安全を求めるだけでなく、リスクを引き受ける覚悟を求めるのは酷かもしれません。しかし、農産物の安全性が話題になるたびに、生産者側だけがリスクゼロを求められる世の風潮には違和感を禁じ得ません。
現在はICRP(国際放射線防護委員会)によれば緊急事態期(年間100ミリシーベルト以内)ですが、日本の暫定規制値はそれよりも厳しく、事故終息後の復旧期(20ミリシーベルト以内)を基準に作られているようです。東都生協は、政府の暫定規制値は「放射能のリスクをみんなで公平に負担するためのがまん基準」であるという考えを発表しています。ゼロリスクを求めるのではなく、どこまでなら我慢して引き受けられるのか、各自がもう一度よく考える時期だと思います。現代社会において全ての食べ物のリスクをなくすことは元々無理なのです。それよりも、前向きにリスクを減らす努力をしている農業者を忘れないでほしいと思います。