あえて今年も落ち葉をさらうことの意味
2011.12.12
今年の落ち葉さらい初日、うちの山。
活動時間9時~12時。
参加者16名+子供2人+NHK取材班
さらって運び出した落ち葉
コンテナ180ケ
落ち葉ネット30袋
今年の落ち葉の線量は200Bq/kg
これにもみ殻と稲わらを混ぜてさらに濃度を下げます。
いつもは1:1:1ですが、今年は0.5:1:1
完熟発酵させた堆肥の線量を測って200Bq以内ならば使うつもりです。
もし超えたらどうするか?さらに他の有機物を加えて薄めます。その過程が1年くらいかかるのなら、その期間は緑肥など、他の方法による土づくりに切り替えます。
国が定めた基準値は400Bqで、この値の土壌改良剤2トンを長期間(40年)施用し続けても震災前の土壌放射線量の最大値(140Bq、2ケタを切り捨てて100Bqに設定)よりも高くならないというのが、この値の根拠。
ちなみに1000Bqの堆肥を土壌に施して土壌のセシウム量の上昇値は10Bqだそうです。
従って、200Bqの落ち葉堆肥を施して上がるセシウム量は2Bqとなります。
うちの畑のセシウム量は約100Bq/kgなので、セシウム134と137の半減期(2年と30年)から計算すると、6年後に半分の50Bqまで減ります。最初の数年は大雑把にいうと毎年10ベクレル減ることになります。
私は、10Bqの減少が8Bqになることのリスクよりも、土壌中の優良な有機物が減って、セシウムを吸着できなくなることで、作物に移行したり、環境に放出されてゆくことのリスクの方が大きいと思います。因みに畑の腐植質は毎年1トン/10アールずつが微生物の活動などによって自然に減るので、それは補う必要があるのです。当然、土壌中の有機物量が減ればミネラル分も減り、作物の栄養価も下がりますし、害虫発生のリスクも高まります。
一方、「危ないから山の落ち葉はあきらめっぺ」と言って、山を放っておいたらどうでしょう??地表面の落ち葉にくっついたセシウムはやがて落ち葉の分解とともに山の土壌に移行して樹木に吸収され、長期間森林生態系内を循環し続けることになります。人の手が離れた山はすぐに荒れます。荒れた山は成長が鈍り、CО2の吸収量も減ってしまいます。荒れた山を伝って野生動物が人里に下りて悪さします。山里はますます人が住みにくくなり、山紫水明とうたわれた日本の風景はただの荒れ地と化すでしょう。
何が言いたいかというと、
「山の落ち葉が最高の有機資源という事実は普遍」
「人が関わり続けることで、初めて汚染は減らしてゆける」
「それができるのが農林漁業の第一次産業だ」
「数値よりも、現場の取り組みの中からしか真実は見つからない」
「生産者が100人いれば100通りの方法がある」
「正解はないけど、逃げずに立ち向かうことが大事」
「やるだけやってダメならキッパリと諦めがつく」
ということです。
にしても、子供が来てくれたのが嬉しかった。山に子供の声が響く。それが畑だっていいんだけど、今山は子供ご法度みたいな雰囲気があって。今日正直ジーンときた。早くそんな日常を取り戻したいと強く思うのだ。
活動時間9時~12時。
参加者16名+子供2人+NHK取材班
さらって運び出した落ち葉
コンテナ180ケ
落ち葉ネット30袋
今年の落ち葉の線量は200Bq/kg
これにもみ殻と稲わらを混ぜてさらに濃度を下げます。
いつもは1:1:1ですが、今年は0.5:1:1
完熟発酵させた堆肥の線量を測って200Bq以内ならば使うつもりです。
もし超えたらどうするか?さらに他の有機物を加えて薄めます。その過程が1年くらいかかるのなら、その期間は緑肥など、他の方法による土づくりに切り替えます。
国が定めた基準値は400Bqで、この値の土壌改良剤2トンを長期間(40年)施用し続けても震災前の土壌放射線量の最大値(140Bq、2ケタを切り捨てて100Bqに設定)よりも高くならないというのが、この値の根拠。
ちなみに1000Bqの堆肥を土壌に施して土壌のセシウム量の上昇値は10Bqだそうです。
従って、200Bqの落ち葉堆肥を施して上がるセシウム量は2Bqとなります。
うちの畑のセシウム量は約100Bq/kgなので、セシウム134と137の半減期(2年と30年)から計算すると、6年後に半分の50Bqまで減ります。最初の数年は大雑把にいうと毎年10ベクレル減ることになります。
私は、10Bqの減少が8Bqになることのリスクよりも、土壌中の優良な有機物が減って、セシウムを吸着できなくなることで、作物に移行したり、環境に放出されてゆくことのリスクの方が大きいと思います。因みに畑の腐植質は毎年1トン/10アールずつが微生物の活動などによって自然に減るので、それは補う必要があるのです。当然、土壌中の有機物量が減ればミネラル分も減り、作物の栄養価も下がりますし、害虫発生のリスクも高まります。
一方、「危ないから山の落ち葉はあきらめっぺ」と言って、山を放っておいたらどうでしょう??地表面の落ち葉にくっついたセシウムはやがて落ち葉の分解とともに山の土壌に移行して樹木に吸収され、長期間森林生態系内を循環し続けることになります。人の手が離れた山はすぐに荒れます。荒れた山は成長が鈍り、CО2の吸収量も減ってしまいます。荒れた山を伝って野生動物が人里に下りて悪さします。山里はますます人が住みにくくなり、山紫水明とうたわれた日本の風景はただの荒れ地と化すでしょう。
何が言いたいかというと、
「山の落ち葉が最高の有機資源という事実は普遍」
「人が関わり続けることで、初めて汚染は減らしてゆける」
「それができるのが農林漁業の第一次産業だ」
「数値よりも、現場の取り組みの中からしか真実は見つからない」
「生産者が100人いれば100通りの方法がある」
「正解はないけど、逃げずに立ち向かうことが大事」
「やるだけやってダメならキッパリと諦めがつく」
ということです。
にしても、子供が来てくれたのが嬉しかった。山に子供の声が響く。それが畑だっていいんだけど、今山は子供ご法度みたいな雰囲気があって。今日正直ジーンときた。早くそんな日常を取り戻したいと強く思うのだ。