手作り農園のゆくえ
2015.1.21
今日は野菜の苗を育てるのに使う「床土」を作った。2年間熟成した腐葉土に黒土や発酵肥料を混ぜてさらに熟成させてから粉砕ふるい機にかけて保存しておく。全部で2㎥弱。カブトムシの幼虫がコロコロ出てくるので、そいつらは別の場所に活けてやりながら。。。今年からECメーターを使って肥料成分も科学的に調整して、良質かつ再現性がある床土を目指すのだ。
他にもうちは色んな物を手作りしている。堆肥も一から手作り。肥料も材料を発酵させて手作り。当然ながら野菜は種から育てて、種は買うけど苗は買わない。。。あっ、昨年はサツマイモの苗は芋農家さんから買ったから、全てじゃないか。 経営的には、当然ながら合理的とは言えない。これだけの手間(人件費が一番高いのよ)をかけるのであれば、床土も堆肥も肥料も苗も買った方が安い。良質なものを選べば、その道のプロが工夫を重ねて作り上げたものばかり。すぐれたプロダクトなのだ。当然ながら私が作るものより生産ラインも合理化されているし、原価も安い。 じゃあなんで全ての工程を自分でやろうとするのか? なぜ農薬も化学肥料も使わずに作るのか? 原料の安全性?既製品への不信?正直よく分かりませーん(笑) ただ言えることは、自分がやりたいから。そこにやりがいを感じているし、一から作り上げる楽しみは何事にも代えがたいものがある。当然ながら頭も体もフル回転していないと全てを高次元に回してゆくことはできない。とても難しい作業なのだけは確か。そして、そういう自分が農業者としては変人なのだということに最近気が付いた(笑)
でも多分、もっと変人になってゆかないと、この仕事は完成できない。 そこまで到達できない限り、全てをこなしながら全てが中途半端というマイナススパイラルに陥ってしまうだろう。だてにその道のプロは存在しないのだ。その意味で私もたまに使う「百姓」という言葉は「百の姓(かばね)を持つ」ので、分業と効率化の経済と反対の「生き様」を表す。現代においては覚悟がいる言葉なのかもしれない。で、今思いついたけど、うちが目指すのは「百姓のプロ」。分かりにくいかな。 一方で時代は平成の世。我が手作り農園も一貫生産を唄いながらも本当に大勢のお世話になって物作りができている。そんな方々に心から喜んでもらえる食べ物を作って届けたい。そしてどれだけ経済が進んでも、自分達のような小さな農園が経済の中で(これ大事)元気に働ける環境を作ってゆくことが、我々の使命だと思う。
他にもうちは色んな物を手作りしている。堆肥も一から手作り。肥料も材料を発酵させて手作り。当然ながら野菜は種から育てて、種は買うけど苗は買わない。。。あっ、昨年はサツマイモの苗は芋農家さんから買ったから、全てじゃないか。 経営的には、当然ながら合理的とは言えない。これだけの手間(人件費が一番高いのよ)をかけるのであれば、床土も堆肥も肥料も苗も買った方が安い。良質なものを選べば、その道のプロが工夫を重ねて作り上げたものばかり。すぐれたプロダクトなのだ。当然ながら私が作るものより生産ラインも合理化されているし、原価も安い。 じゃあなんで全ての工程を自分でやろうとするのか? なぜ農薬も化学肥料も使わずに作るのか? 原料の安全性?既製品への不信?正直よく分かりませーん(笑) ただ言えることは、自分がやりたいから。そこにやりがいを感じているし、一から作り上げる楽しみは何事にも代えがたいものがある。当然ながら頭も体もフル回転していないと全てを高次元に回してゆくことはできない。とても難しい作業なのだけは確か。そして、そういう自分が農業者としては変人なのだということに最近気が付いた(笑)
でも多分、もっと変人になってゆかないと、この仕事は完成できない。 そこまで到達できない限り、全てをこなしながら全てが中途半端というマイナススパイラルに陥ってしまうだろう。だてにその道のプロは存在しないのだ。その意味で私もたまに使う「百姓」という言葉は「百の姓(かばね)を持つ」ので、分業と効率化の経済と反対の「生き様」を表す。現代においては覚悟がいる言葉なのかもしれない。で、今思いついたけど、うちが目指すのは「百姓のプロ」。分かりにくいかな。 一方で時代は平成の世。我が手作り農園も一貫生産を唄いながらも本当に大勢のお世話になって物作りができている。そんな方々に心から喜んでもらえる食べ物を作って届けたい。そしてどれだけ経済が進んでも、自分達のような小さな農園が経済の中で(これ大事)元気に働ける環境を作ってゆくことが、我々の使命だと思う。