僕たちは味噌づくりのプロにはなれない。
2011.2.13
味噌作りを振り返る。
こうじ用の米を蒸かす。
大豆を煮る。
大豆を適温まで冷ましてから、塩きり麹と混ぜて、、、、
すりつぶしながら仕込む。今回は大豆と米各60キロずつ。
味噌にして約250キロ。
年々技術改良されて工程も随分効率化された。
こうじも良いものが出来た。
ひとえにお母ちゃんたちの勉強の成果である。
関係ないけど、仕込みに使った道具類、大釜、羽釜、せいろ、発芽機、ミンチ機、ばんじゅう等、全て頂きものである。有難いことだ。
さて本題。
味噌作りは奥が深い。米を蒸かしたり、大豆を煮るにしても、「どの程度なのか」という問題があって、年に一度しか仕込まない我々には基準はあってもあくまで「塩梅」でしかない。こうじだって「それらしいもの」は誰でも作れるけど、ほんとに良いものを作るのは大変なことである。例え出来たとしても、我々にはそれを毎回再現できるだけの技量がない。何しろ年に一度しか仕込まないからね。技術の進歩が遅いわけですよ。
だてに職人はいないのである。同じ味噌でも、我々のと職人さんが作ったものでは目に見えない部分で大きな違いがあると思う。我々の味噌はあくまで自家用の手前味噌。唯一いい点があるとすれば、塩を除いた原料全てが自家産だということ。これは農家じゃないと出来ないことだ。職人さんは逆で様々な原料に合わせて仕込み過程を自在に微調整できる技術を持ってらっしゃることだろう。
結論。農家の手前味噌は原料から一貫生産されてるのがいいところ。仕込みはプロの仕事ではなくて、あくまでも共同で自分たちの食べ物を作り上げる楽しい作業。だからいわゆる優れた農産加工品を作りだすことは覚悟のいることで、本業である野菜作りの片手間では出来ないということだ。
逆に我々の野菜作りは、趣味や田舎暮らしの家庭菜園の方々や外国産の輸入品とはまったくレベルの違う技量と品質で圧倒したいところである。
こうじ用の米を蒸かす。
大豆を煮る。
大豆を適温まで冷ましてから、塩きり麹と混ぜて、、、、
すりつぶしながら仕込む。今回は大豆と米各60キロずつ。
味噌にして約250キロ。
年々技術改良されて工程も随分効率化された。
こうじも良いものが出来た。
ひとえにお母ちゃんたちの勉強の成果である。
関係ないけど、仕込みに使った道具類、大釜、羽釜、せいろ、発芽機、ミンチ機、ばんじゅう等、全て頂きものである。有難いことだ。
さて本題。
味噌作りは奥が深い。米を蒸かしたり、大豆を煮るにしても、「どの程度なのか」という問題があって、年に一度しか仕込まない我々には基準はあってもあくまで「塩梅」でしかない。こうじだって「それらしいもの」は誰でも作れるけど、ほんとに良いものを作るのは大変なことである。例え出来たとしても、我々にはそれを毎回再現できるだけの技量がない。何しろ年に一度しか仕込まないからね。技術の進歩が遅いわけですよ。
だてに職人はいないのである。同じ味噌でも、我々のと職人さんが作ったものでは目に見えない部分で大きな違いがあると思う。我々の味噌はあくまで自家用の手前味噌。唯一いい点があるとすれば、塩を除いた原料全てが自家産だということ。これは農家じゃないと出来ないことだ。職人さんは逆で様々な原料に合わせて仕込み過程を自在に微調整できる技術を持ってらっしゃることだろう。
結論。農家の手前味噌は原料から一貫生産されてるのがいいところ。仕込みはプロの仕事ではなくて、あくまでも共同で自分たちの食べ物を作り上げる楽しい作業。だからいわゆる優れた農産加工品を作りだすことは覚悟のいることで、本業である野菜作りの片手間では出来ないということだ。
逆に我々の野菜作りは、趣味や田舎暮らしの家庭菜園の方々や外国産の輸入品とはまったくレベルの違う技量と品質で圧倒したいところである。