自然災害より理不尽な放射能
2011.9.5
雨が一滴も降らなかったのは久々でした。今日は天気を気にせずにガッツリ仕事ができました。
白菜を植えて、色大根やたくあん大根や、ほうれん草を播いて、カボチャ畑のあとを耕して、ネギの草取りをしました。
紀伊半島のほうでは大変な被害のようですね。被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。学生時代に大峰山脈を奈良の吉野から和歌山の熊野本宮まで歩いたのを思い出します。まさに山また山の土地。でも深山幽谷の中にもいにしえのころから人々が信仰や修行に歩いた跡があちこちにあり、歴史の重みを感じる土地でした。
そのころ読んでいた中上健次氏の小説世界そのもののような血の濃さを感じました。海と山が交錯して、京や奈良の都から見れば正に神々の土地だったのでしょう。
私が住む奥久慈とは自然の厳しさが段違いだと思います。この辺りは気候もやさしく、適度に農地もあり、台風の直撃も集中豪雨もない。都市に出かけるにもそれほど遠くなく、仕事だって贅沢を言わなければまだある方。日本の田舎の中ではかなり住みやすく、恵まれている土地だと思います。それなのに過疎化が進んでしまうのはなぜなのでしょうか?
私は旅人として紀伊半島を歩いただけですが、あれほど山と海ばかりの土地でも人々は暮らしています。きっと今回の豪雨災害も長い歴史の中で繰り返され、その度に人々は力を合わせて乗り越えてきたのだと思います。もっともこっちよりもさらに過疎化は深刻なのでしょうが、過疎などという言葉は現代人が勝手に作り出した言葉であり、要は住んでいる人間の気持ちひとつで天国にもなり、地獄にもなるのでしょう。
それにしても、自然災害は本当にむごいものですが、放射能の被害は比べものになりません。自然災害は復興へ向けて立ち上がることができます。人間の意志と力で乗り越えることもできるのです。しかし、放射能はそうはゆきません。第一、私たちは自分たちで作りだした放射能をなくす方法すらまだ知らないのです。岩手と福島の住民の方々を見ればその違いは歴然です。なんという理不尽でしょうか・・・・
今日、福島で竹炭工房を営んでいた知人と久しぶりに連絡が取れました。工房は福島原発の警戒区域内にあり、奥さんと子供たちは山形県に避難中、地元生まれのご主人は最近ようやく故郷を離れる決心をされたとのこと。立派な炭焼き窯が何基も並んでいたあの工房から煙が上がることはもうありません。愛する故郷を離れなければならないつらさは察するに余りあります。お金なんかで保証できるものではありません。本当に悔しいです。
白菜を植えて、色大根やたくあん大根や、ほうれん草を播いて、カボチャ畑のあとを耕して、ネギの草取りをしました。
紀伊半島のほうでは大変な被害のようですね。被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。学生時代に大峰山脈を奈良の吉野から和歌山の熊野本宮まで歩いたのを思い出します。まさに山また山の土地。でも深山幽谷の中にもいにしえのころから人々が信仰や修行に歩いた跡があちこちにあり、歴史の重みを感じる土地でした。
そのころ読んでいた中上健次氏の小説世界そのもののような血の濃さを感じました。海と山が交錯して、京や奈良の都から見れば正に神々の土地だったのでしょう。
私が住む奥久慈とは自然の厳しさが段違いだと思います。この辺りは気候もやさしく、適度に農地もあり、台風の直撃も集中豪雨もない。都市に出かけるにもそれほど遠くなく、仕事だって贅沢を言わなければまだある方。日本の田舎の中ではかなり住みやすく、恵まれている土地だと思います。それなのに過疎化が進んでしまうのはなぜなのでしょうか?
私は旅人として紀伊半島を歩いただけですが、あれほど山と海ばかりの土地でも人々は暮らしています。きっと今回の豪雨災害も長い歴史の中で繰り返され、その度に人々は力を合わせて乗り越えてきたのだと思います。もっともこっちよりもさらに過疎化は深刻なのでしょうが、過疎などという言葉は現代人が勝手に作り出した言葉であり、要は住んでいる人間の気持ちひとつで天国にもなり、地獄にもなるのでしょう。
それにしても、自然災害は本当にむごいものですが、放射能の被害は比べものになりません。自然災害は復興へ向けて立ち上がることができます。人間の意志と力で乗り越えることもできるのです。しかし、放射能はそうはゆきません。第一、私たちは自分たちで作りだした放射能をなくす方法すらまだ知らないのです。岩手と福島の住民の方々を見ればその違いは歴然です。なんという理不尽でしょうか・・・・
今日、福島で竹炭工房を営んでいた知人と久しぶりに連絡が取れました。工房は福島原発の警戒区域内にあり、奥さんと子供たちは山形県に避難中、地元生まれのご主人は最近ようやく故郷を離れる決心をされたとのこと。立派な炭焼き窯が何基も並んでいたあの工房から煙が上がることはもうありません。愛する故郷を離れなければならないつらさは察するに余りあります。お金なんかで保証できるものではありません。本当に悔しいです。