里美の日に思う
2012.5.14
毎月第2日曜日に開催されている「里美の日」
今回は「茨城旅のストーリー 第10回旅のカフェ」とのコラボでした。
ぼくも農作業の合間に、地域の仲間とちょびっと参加。
印象をFBでまとめたものを転載します。
いばらき旅のカフェ里美、締めくくりのトークセッションに参加しました。場所は大中神社。うちの氏神様であり、結婚式をを挙げた場所・・・
神事と言えばその多くは米作りに関わる農耕儀礼だとか。しかし、農業が衰退し、住民の多くが土から離れてゆく中で、昔ほどの「拠り所」としての存在感は亡くなってきているかなと思ってました。でも、世の中がどう変わろうとも神社はそこに変わらずあり続ける・・・・今日初めて江戸中期建立の本殿を見せていただき、歴史と共に歩んできた「重力」を感じました。
ひるがえって、農業にとっての重力ってなんだろう・・・・それは多分土とか、土地なんだろうと。その土地を耕して暮らし続けること。時代と共に栽培方法や売り方は変わっても、その土地にあり続けること。住み続けることで土地と関わり続ける。決して特別なことじゃなく、ごく当たり前に日々が過ぎてゆくこと。
里美って多分そんな土の風土が濃いところなのかもしれない。ごく当たり前にみんなが血のどこかでそれを共有している・・・そしてそんな人たちは決して表に出てこないし語ることもない。それでもいざ懐に入ってみるととびきり暖かくてにじみ出てくる土の香りがする。きっと里美の日を主催している女の子達はそんな魅力に惹かれているのだろう。そんな控えめな親切や想いが少しづつ発露できる「里美の日」はとても素敵な企画です。
一方で今回の旅のカフェ、このような外部との関わりの中から僕たちは何を目指してゆくのでしょうか?つながる、知り合う、通りすがり、一過性のイベントで終わらせないだけの意識付けが里美側にあるかと言えば僕も含めて??かなと。
僕自身は「つながり」をキーワードに動いています。対象は色々。土・人・山・海・家族・お金・歴史・命・心・・・・震災から一年たって、最近特にそれを強く意識するようになりました。
話が戻るけれど、大中神社は今でも元旦は元朝参りの人でごった返します。深耕は薄れても「重力」は変わらずにある。それは多分心がつながっているからだと思う。里美が、訪れる人にとっても、そんな心のつながりの場として存在できたらいいかなと。
トークセッションに参加して考えたことでした。
今回は「茨城旅のストーリー 第10回旅のカフェ」とのコラボでした。
ぼくも農作業の合間に、地域の仲間とちょびっと参加。
印象をFBでまとめたものを転載します。
いばらき旅のカフェ里美、締めくくりのトークセッションに参加しました。場所は大中神社。うちの氏神様であり、結婚式をを挙げた場所・・・
神事と言えばその多くは米作りに関わる農耕儀礼だとか。しかし、農業が衰退し、住民の多くが土から離れてゆく中で、昔ほどの「拠り所」としての存在感は亡くなってきているかなと思ってました。でも、世の中がどう変わろうとも神社はそこに変わらずあり続ける・・・・今日初めて江戸中期建立の本殿を見せていただき、歴史と共に歩んできた「重力」を感じました。
ひるがえって、農業にとっての重力ってなんだろう・・・・それは多分土とか、土地なんだろうと。その土地を耕して暮らし続けること。時代と共に栽培方法や売り方は変わっても、その土地にあり続けること。住み続けることで土地と関わり続ける。決して特別なことじゃなく、ごく当たり前に日々が過ぎてゆくこと。
里美って多分そんな土の風土が濃いところなのかもしれない。ごく当たり前にみんなが血のどこかでそれを共有している・・・そしてそんな人たちは決して表に出てこないし語ることもない。それでもいざ懐に入ってみるととびきり暖かくてにじみ出てくる土の香りがする。きっと里美の日を主催している女の子達はそんな魅力に惹かれているのだろう。そんな控えめな親切や想いが少しづつ発露できる「里美の日」はとても素敵な企画です。
一方で今回の旅のカフェ、このような外部との関わりの中から僕たちは何を目指してゆくのでしょうか?つながる、知り合う、通りすがり、一過性のイベントで終わらせないだけの意識付けが里美側にあるかと言えば僕も含めて??かなと。
僕自身は「つながり」をキーワードに動いています。対象は色々。土・人・山・海・家族・お金・歴史・命・心・・・・震災から一年たって、最近特にそれを強く意識するようになりました。
話が戻るけれど、大中神社は今でも元旦は元朝参りの人でごった返します。深耕は薄れても「重力」は変わらずにある。それは多分心がつながっているからだと思う。里美が、訪れる人にとっても、そんな心のつながりの場として存在できたらいいかなと。
トークセッションに参加して考えたことでした。