用水普請の春の日に。
2014.3.16
我が家もようやく梅の花がポツリポツリと咲き出しました。
今日は集落の水田の用水普請。この辺では「いはらい」と言います。
水路ごとに用水組合が出来ていて、水田の用水路、排水路の管理をしています。一年間でたまった水路の泥やゴミをさらい、草を刈ります。結構な重労働なので水田の持ち主が集まっての共同作業です。僕らの組の用水はすごい崖に素掘りの穴を掘って上流から通水されていて、毎年崖から崩れた土砂の撤去が大変です。今日もスコップを持ち寄ってみんなでヒーヒー言いながら作業。まあでも冗談言いあいながら、老いも若きも混ざってワイワイやるので、それほど苦でもなく2時間ほどで用水と排水の掃除が終わります。
この時期は村中で、いや多分日本中で水路の用水普請がされているはずです。面白いのは、基本的に普請に参加するのは耕作者ではなくて所有者だということ。農地の集約が進んで大規模農家が占有する地帯でも、用水の管理はおそらく借り手の農家ではなくて管理組合に参加している所有者がメインなのではないでしょうか?それでも最近は所有者が高齢化して、僕のような借り手も作業に参加するようになってきました。
まあそれだけ、用水の管理には手間がかかって、個人の手におえるものではないということだと思います。共同作業のほうがはるかに効率的だとも言えます。逆を言えば「それだけ公共性が高い仕事」とも言えるのかもしれません。
ここで僕が言いたいのは、だから稲作を大切にしろとか、日本の文化であるお米を沢山食べよう、とかいうことではなくて、こういったコストは米価に反映されているのか?という疑問です。これはボランティアなのか?里の風景を守り、地域の環境を守るための無償労働なのか?公共的な仕事なので、コストに入れてはいけないのか?
いや僕は入れたほうがいいと思います。多分大規模経営の専業農家さんや法人などはきちんと計算していると思います。しかし僕が住む地区はいわゆる自給的稲作農家さんがほとんどで、彼らとの作業は楽しいけれど、そこからコスト意識はほとんど感じられません。稲作は田植えの前に八十八手間かかると言われてるけど、水がなければどうにもなりません。そのための一番大事な仕事が用水普請なのであり、ある意味もっとも効率化しづらく、かつ消費者には見えづらい部分かも知れません。用水の管理にいくらかかっているのか?きちんと計算して米価に上乗せする努力がいると思います。村にいると「目に見えないコスト」がまだまだ沢山あるような気がします。日本のお米は決して高くない。しかし一方できちんと計算してゆくことで初めてコストダウンの努力もできると思うのです。
コスト意識がない農家(農業者ではない)が今の日本農業の現状を作ってしまったとも言えるのではないでしょうか?
まあこんなことをつらつらと考えているのですが、今日は隣組の古老の葬儀がありました。消防団の先輩である息子さんが、僕が焼香した時、「百姓の先輩の顔、見れるぞ。」と、棺の窓を開けて見せてくれました。専業農家で育った息子さんは田んぼをやめるそうです。もう僕はそのことに対して何とも思わない。むしろ今までご苦労様でしたと言いたい。地域の田んぼが荒れるとか、これから過疎化でどうなるんだとか、以前ほど危機感を感じなくなりました。やりたい奴がやればいい。ただただ、それだけです。
今日は集落の水田の用水普請。この辺では「いはらい」と言います。
水路ごとに用水組合が出来ていて、水田の用水路、排水路の管理をしています。一年間でたまった水路の泥やゴミをさらい、草を刈ります。結構な重労働なので水田の持ち主が集まっての共同作業です。僕らの組の用水はすごい崖に素掘りの穴を掘って上流から通水されていて、毎年崖から崩れた土砂の撤去が大変です。今日もスコップを持ち寄ってみんなでヒーヒー言いながら作業。まあでも冗談言いあいながら、老いも若きも混ざってワイワイやるので、それほど苦でもなく2時間ほどで用水と排水の掃除が終わります。
この時期は村中で、いや多分日本中で水路の用水普請がされているはずです。面白いのは、基本的に普請に参加するのは耕作者ではなくて所有者だということ。農地の集約が進んで大規模農家が占有する地帯でも、用水の管理はおそらく借り手の農家ではなくて管理組合に参加している所有者がメインなのではないでしょうか?それでも最近は所有者が高齢化して、僕のような借り手も作業に参加するようになってきました。
まあそれだけ、用水の管理には手間がかかって、個人の手におえるものではないということだと思います。共同作業のほうがはるかに効率的だとも言えます。逆を言えば「それだけ公共性が高い仕事」とも言えるのかもしれません。
ここで僕が言いたいのは、だから稲作を大切にしろとか、日本の文化であるお米を沢山食べよう、とかいうことではなくて、こういったコストは米価に反映されているのか?という疑問です。これはボランティアなのか?里の風景を守り、地域の環境を守るための無償労働なのか?公共的な仕事なので、コストに入れてはいけないのか?
いや僕は入れたほうがいいと思います。多分大規模経営の専業農家さんや法人などはきちんと計算していると思います。しかし僕が住む地区はいわゆる自給的稲作農家さんがほとんどで、彼らとの作業は楽しいけれど、そこからコスト意識はほとんど感じられません。稲作は田植えの前に八十八手間かかると言われてるけど、水がなければどうにもなりません。そのための一番大事な仕事が用水普請なのであり、ある意味もっとも効率化しづらく、かつ消費者には見えづらい部分かも知れません。用水の管理にいくらかかっているのか?きちんと計算して米価に上乗せする努力がいると思います。村にいると「目に見えないコスト」がまだまだ沢山あるような気がします。日本のお米は決して高くない。しかし一方できちんと計算してゆくことで初めてコストダウンの努力もできると思うのです。
コスト意識がない農家(農業者ではない)が今の日本農業の現状を作ってしまったとも言えるのではないでしょうか?
まあこんなことをつらつらと考えているのですが、今日は隣組の古老の葬儀がありました。消防団の先輩である息子さんが、僕が焼香した時、「百姓の先輩の顔、見れるぞ。」と、棺の窓を開けて見せてくれました。専業農家で育った息子さんは田んぼをやめるそうです。もう僕はそのことに対して何とも思わない。むしろ今までご苦労様でしたと言いたい。地域の田んぼが荒れるとか、これから過疎化でどうなるんだとか、以前ほど危機感を感じなくなりました。やりたい奴がやればいい。ただただ、それだけです。